平和への祈り
桜島の噴煙を見るのも今年で6回目になるのかな?
毎年訪れている鹿児島に、今年も来ることができました。
6年目ともなると、交通事情であったり、観光名所であったり、美味しい料理に、旨い焼酎?も分かるようになりました。
そんな今回の鹿児島の滞在ですが、今まで関心はあったものの、どうしても足を向けられない場所がありました。
それが、『知覧特攻平和会館』です。
日本人として、知っておくべき、忘れてはならない事実であると思います。
しかし、平和な世界が当たり前となってしまった自分には、少し重すぎて、受け止めきれないのではないかとの思いが強く、毎年鹿児島をあとにする度に、罪悪感のようなものを感じながら帰途についていまいた。
そして、今回ふと思い立ち、ようやくこの場所を訪れることにしたのです。
(館内は撮影禁止なので映像はありません)
初めて受ける衝撃に自分自身の弱さと脆さを感じます。
これが実際に現実のものとして行われたことを受け止めきれません。
20歳前後の特攻戦死された若者の数、1,036名。
最も若い隊員は、17歳であったということ。
国のために命をも捧げて尽くすことを教育された時代とはいえ、平和であることが当たり前の今、そんなことが私たちに出来るはずもありません。
館内には1,036名の遺影が飾られ、実際の遺書や遺言が展示されています。
それらの文章から感じ取れるのは、強靭な精神力と奥深いやさしさでした。
特攻隊として往くことにこの上ない幸せを感じ、さらに、親・きょうだいにも、そんな人間が家族にいたことに誇りを持ってほしいと言い残し、知覧から沖縄の最前線に飛び立っていったことを、今さらながら現実のこととして体感しました。
そんなことが行われていたのが、わずか70年前だなんて信じられません。
そして今、15歳になる息子のことを考えると‥。
館内には他にも、戦争のむなしさや平和の大切さを後世に伝える貴重なものがたくさん展示されていますが、最も心を打たれたものが最後にありました。
それは、ここを訪れた子供たちの、数々の千羽鶴とともに書き添えられた平和への祈りでした。
「いつまでも平和な世の中でありますように」
「戦争はしないでください」などなど。
今の平和な世の中に感謝し、過去の事実を忘れず、いまを生きる。
最後に、少しびっくりしたのは、当時の20歳前後の若者たちの書く字がとても達筆であり、その文章がとても洗練されていることでした。
どんな教育を受けるとこのような漢字と文章が書けるのか?
自分自身の書く漢字と文章がとても稚拙なものに思えて恥ずかしかったなあ。
6年目になってようやく訪れたこの場所は、自分の中に強烈な衝撃が宿るところでした。
それでも遠く羽田空港から見える富士山が母親のように感じられ、なんだかホッとして、少し穏やかな気持ちになれました。