運動会の寂しい背中
素晴らしい青空の下、先日小学校の運動会が開催された。
そこで開会式での挨拶を依頼されました。
とても緊張しましたが、訴えたかったテーマは、『笑顔』と『感謝』。
歯を食いしばって頑張る姿と笑った顔。
そんなところから幸せなことは生まれるように思います。
それと、この日の芝生の校庭は最高のコンディション。
子供たちの小学校の校庭は、芝生なんですよね。
全国的にも芝生の校庭が増えているようです。
ちなみに、先日の9月末の日中のこと。
隣接する中学校の砂のグラウンドと小学校の芝生の校庭。
午後のグラウンドの気温を計ったら、なんと13℃もの違いが有りました。
これってすごいことですよね。
やっぱり芝生ってスゴイ!
しかし、その維持・管理は相当な努力とお金も必要…。
その管理の部分では、多くの方々の貢献と、学校側の努力があるわけですが、
なんと言っても、用務の方と芝生管理の責任者の6年の先生の存在なくして、この芝生は語れません。
以前も、何気なく立ち寄った日曜日の校庭。
その6年生の先生が1人で芝生の手入れをしていました。
そのときもその先生と話しましたが、心から芝生への熱い思いが伝わってきます。
もちろんその先生方は、ただただ「芝生を守る!」
その思いだけで行動されてるのだと思いますが、
やっぱり運動会に居合わせた人たちに対して、そうした陰の努力を伝えたかったのと同時に、子供たちには、芝生への感謝の思いを強くして欲しかったんですよね。
それで、『感謝』というキーワードを挨拶に入れました。
ところで、競技の方はというと、一生懸命頑張る姿に感動し、1年生の可愛いしぐさに笑顔が弾け、子供たちの喜ぶ姿から、幸せな時間を貰いました。
特に6年生の保護者やご親族の方々の思いは一入だと思います。
子供の成長を目の当りにし、感慨深いものがありますね。
僕自身も、本当に楽しくて幸せな時間を共有できた気持ちには変わりはないのですが…、
ひとつだけ未だに僕の脳裏から離れない光景があります。
それは、運動会のクライマックス。
6年生による全ての思いを一身に受けたスタンツの演技でのことでした。
演技冒頭、腕を負傷してしまった6年生がみんなの思いを代弁し、熱い思いを語る。
きっと練習中に負傷してしまったんだろうなあ。
そして、もう一人隣に一人の少年。
少年は何も言わないまま、指令台の先生の横に体育座りをして演技を見守る。
背中がピシッと伸びていい姿勢。
6年生の素晴らしい演技は続いたのですが、僕は彼のちょうど真後ろにいたせいもあり、ずっと彼が気になって仕方がありませんでした。
結局、少年は一度もそこから動くことはなく、演技は終了してしまった。
もちろん、歓喜の同級生の輪に加わることはできなかった。
理由は様々あるだろうと思う。
でも、彼を一緒に参加させることは本当にできなかったのかな?
一緒に演技をしたいといった同級生は果たしてどれだけいたのかな?
全てに参加はできなくとも、何か1つでも2つでも演技をさせられたのでは?
演技が終わるまでずっと、とても姿勢よく体育座りをしていた少年の後姿が逆に寂しく見えてしまったのは、いらない同情だろうか?
だってまだ12歳。
あの現実を彼はどう受け止めていたのだろうか?
そう思うと、そのことがずっと頭から離れません。
きっと一緒に演技したいという気持ちは少しはあっただろう。
とても優秀なレギュラーがいて、試合に出れない補欠の選手がいる中で、仮に全国優勝しても、優秀なレギュラーだけが喜び、頑張った補欠の選手は蚊帳の外では、心のそこから喜ぶことはできません。
それでは喜びの価値はあまりないと思う。
少なくとも小学校の運動会においては、全校生徒みんなで喜びを分かち合いたいと思うのは、勝手な思いかな?
6年生の演技は本当に素晴らしいものでした。
しかし、教育現場の現状を考えさせられることが多い昨今、その寂しそうな背中が印象に残ってしまった。
ちなみに、クラスリレーに参加したその少年の運動神経はずば抜けていました。
彼の存在を知らない段階で、その脚力に目がいったほど。
少なくとも運動には自信があるに違いありません。
きっと、スタンツでもリーダー的存在になれたであろうにと思うと、余計に悔しいです。
子供たちのはち切れんばかりの笑顔が見たい。
心からそう思います。